【島原大変肥後迷惑】江戸時代に築かれた島原市上の原地区の「えん堤」

日記

どうも!先日発生した阿蘇山噴火は、未明に発生したこともあり見逃しました。次こそ対岸から見たいくらりんです。

今回は、島原市上の原地区にあるえん堤の話をしたいと思います。
ここは江戸時代に発生した雲仙岳噴火による大災害「島原大変肥後迷惑」後に、山体崩壊による土砂から街を守るために築かれた堤なんです!

眉山の麓にある上の原地区。えん堤の場所はこちら!

先日廃止になった島鉄バスの「総合運動公園下」バス停すぐです。

さて、現地の写真を挙げていきたいと思います!

現地で確認!小高い高まりが「えん堤」だ!

そこは島原市営球場にほど近い閑静な住宅街。

住宅街の中に小さな高まりが、道路を横長く続いていました。一見自然堤防のように見える小さな高まりがえん堤です。

上の原3丁目の看板がある高まりが「えん堤」

現地に説明看板は特にありませんでした。
地元の人でも知る人ぞ知る場所なのかな。

高まりは住宅地化されず残っている(ごみ収集場としても利用されていた)
住宅地の間にあるえん堤には桜が植樹されていました。春は綺麗だろうな。
高まりは奥まで続く・・・

眉山が山体崩壊を起こして土砂に覆われた上の原地区。
再び土砂が街を飲み込むことがないよう、築かれたそうです。

再び起こるかもしれない災害のことを考えた先人の知恵ですね。

GoogleEarthから「えん堤」を見る

ところで地図が大好きな私はGoogle Earthも大好きです(唐突)

現地で見ると「えん堤」がどこまで続いているか分かりづらかったので、我らがGoogle Earthで上から見てみました!

点線部分は推定

確認した結果、おそらく上の原三丁目公園付近まで続いていると思われました!

いつ再び起こるか分からない山崩れ。当時の人々が街を守ろうとして築いた「えん堤」を、後世に伝えていけるお手伝いがしたいと思います。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました